
内省習慣化のすすめ― 朝日新聞「耕論」から考えるアイデンティティの話 ―
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この記事は「マイベストプロ静岡」の弊社コラムにも掲載しています
2026年4月7日付の朝日新聞の連載企画「耕論」に、「人生、焦り迷いながら」というテーマの記事が掲載されました。環境の変化が激しい時代を生きる人たち、特に人生の前半戦において、どのように向き合えばよいのか。3名の方がそれぞれの視点から語っています。
その中で今回ご紹介するのは、広島大学名誉教授の岡本祐子先生の論考です。
岡本先生は「アイデンティティ」に関する研究で知られています。アイデンティティとは、「自分は何者か」「どこから来て、どこへ向かうのか」といった問いに対する、自分なりの答えです。この概念は、ドイツ生まれの心理学者エリクソン(Erikson, E.H. 1902~1994)によって提唱され、青年期に確立されるものとして語られてきました。
しかし岡本先生は、アイデンティティは青年期に一度確立されてそのまま続くのではなく、大人になってからも、再確立を繰り返すことを明らかにしています。いわば、人生は一本の直線ではなく、何度も描き直される軌跡のようなもの、「アイデンティティのラセン式発達モデル」として示されています。
今回の紙面では「目をそらさず、内省深めて」と題し、「アイデンティティの危機が訪れることは決して悪いことではない」と述べられています。それは、自分の価値観を問い直し、生き方を軌道修正する機会でもあるからです。そして危機を乗り越えるために、普段から自分を見つめる習慣を持っておくことが重要だと語られています。一方で、その危機から目をそらし続けると、「現役引退期につけが回ってきかねません」とも指摘されています。
この言葉から、私はある相談ケースを思い出しました。プライバシー保護のため、ここでは事実から一部脚色してご紹介します。
この方は、全国的に知名度のある大手企業で定年まで勤め上げ、再雇用も終えられた方です。営業部門一筋で通し、部門トップまで上りつめました。
「まだ働きたい」と仕事を探しておられましたが、お話を伺う中で感じられたのは、これまでと同様の仕事やポジションへの強いこだわりでした。「自分の経歴を活かせる仕事を教えてほしい」とおっしゃる一方で、その経歴の中で何を経験し、何を強みとしてきたのかについては、ほとんど語られることがありませんでした。また、これまでとは異なる仕事への関心も、ほとんど見られませんでした。
このケースは一見すると再就職の条件の問題のように見えます。しかし実際には、「これまでの自分は何者だったのか」「これから何者として生きていくのか」という、アイデンティティの再構築の問題として捉えることができます。長く安定を保ってきたアイデンティティが変化を求められる中で、新たな自己定義への内省が十分に進んでいない状態だったのではないでしょうか。
この面談はその後、私がアイデンティティの再構築に関する実例をご紹介すると「そういう話が聞きたかったんです」と、随分と関心を示されました。ひょっとするとアイデンティティ再構築の必要性を感じつつも、それを受け止めきれない不安があった、でも実例に触れてこの不安は自分だけではないと、安心感を得られたのかもしれません。
岡本先生が指摘されているように、アイデンティティの危機は避けるべきものではなく、自分のあり方を見つめ直す機会であること、アイデンティティの危機は特定の年代に限らず、誰にでも訪れるものであることを示す実例だと思います。
キャリア支援の現場においても、「何をするか」以上に、「自分は何者としてそれをするのか」が問われる場面は少なくありません。しかし、その問いに向き合うための内省の機会は、意識しなければ日常の中で持ちにくいのも事実です。だからこそ、立ち止まり、自分自身を言葉にする時間には意味があります。内省の習慣化は、変化が激しい時代に必須のスキルになるかもしれません。
もし今、「このままでよいのか」と感じているのであれば、それは決して後ろ向きなサインではないでしょう。むしろ、自分自身を再構築するための入口に立っている状態とも言えます。岡本先生は自分で自分を支えられなくなった時には、友人や家族との関係性を大事にすること、専門家に相談することも有益だと述べています。
当社では、キャリアの選択そのものだけでなく、「自分は何者か」という問いに向き合うための対話の機会を提供しています。一人では言葉にしづらい思いや経験も、対話を通じて整理されていきます。
変化の時代において、自分自身の軸を見つめ直す時間として、ぜひご活用ください。