
【正解のない時代にキャリアを創造する】第6回 人材版伊藤レポートの3P・5Fモデルとは
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時代の変化が激しく、先行きが見通しにくくなった時代に、私たちはどのようにキャリアを創造していくのか?というテーマでお話しながら、「人材版伊藤レポート」をご紹介してきました。今回は、このレポートに登場する「3P・5Fモデル」について解説します。特に中小企業を経営する方や、そこで働く人たちにも身近に感じてもらえるよう、お伝えします。
人材版伊藤レポートに登場する「3P・5Fモデル」とは、3つの視点(Perspectives)と5つの共通要素(Common Factors)を示すものです。“これからのあるべき人材戦略を特徴づけるモデル”として提唱されており、“企業価値の持続的向上につながる人材戦略を策定・実行することを経営者に求めている”と記されています。企業価値が持続的に向上することは、企業経営者のみならず、そこで働く従業員にとっても歓迎されるものであり、誰も反対はしないでしょう。
企業価値が持続的に向上していくために、人材版伊藤レポートで特に重視されているのが、「ビジネスモデル、経営戦略と人材戦略が連動していること」です。
経営戦略というものは、何らかの形で存在していることでしょう。経営理念に基づき、中長期的な事業計画に落とし込んでいる企業もあれば、「とりあえずこうしてみよう」と、方向性を探りながら進んでいる企業もあるのかもしれません。
一方で、「人材戦略」と問われると、どの企業にも存在するものでしょうか?そもそも「戦略」とは何かが気になりますが、作戦とも言え、何らかの「こうしたら、きっとこうなって、そしてこうなれば、私たちにとって好ましい状況になるだろう」という要素があることでしょう。仮定、想定、見込み、希望、目論みなどといった要素があり、それらが過程としてつながる物語、「ストーリー」が、多かれ少なかれあるのだと思います。
例えば製造業の会社で、「製品を検査する人が辞めてしまったから、求人を出そう」といったケースには、戦略というストーリー性は感じられません。人材版伊藤レポートでは、まず経営戦略と人材戦略があること、さらにその両者が連動していることを重視しています。
ここからは「3P・5Fモデル」を具体的に見ていきます。まず3Pとは、人材戦略に求められるべき3つの視点を示しています。具体的には、次のように紹介されています。
① 経営戦略と連動しているか
② 目指すべきビジネスモデルや経営戦略と、現時点での人材や人材戦略との間のギャップを把握できているか
③ 人材戦略が実行されるプロセスの中で、組織や個人の行動変容を促し、企業文化として定着しているか
ここからは詳細について、順番に確認していきます。
この点については、人材版伊藤レポートの最重要ポイントとして、すでにお伝えしました。経営戦略として、例えば設備投資をする、新たに拠点を構える、新規事業に取り組む、などを決めたとしても、これらを実行するのはすべて「人」です。経営戦略と人材戦略はセットで捉える必要があります。
また、人材戦略とは「採用戦略」だけではないことも、忘れてはいけないと思います。
“As is”“To be”と、いかにも専門的な表現が登場しますが、「あるべき姿と現状」「理想と現実」と捉えればよいでしょう。
まず、そもそもなりたい姿や目指すべきゴールが分からなければ、一歩を踏み出すことができないのは、組織であれ個人であれ同じでしょう。理想やゴールが見えたら、現状との差を把握することが大切です。
例えば今、「東京へ行きたい(理想・ゴール)」が見えたとしても、今の自分がどこにいるのかが分からなければ、右へ行くのか左へ行くのかも分かりません。「今の自分は大阪にいる」ということが分かって初めて、東へと進むことができます。
東京から見て西側にいたとしても、大阪にいるのか、それとも横浜にいるのか、つまりゴールまでの距離がどの程度あるのかを定量的に把握できていなければ、同じ東へ向かうとしても、新幹線を使うべきなのか、在来線でも構わないのかを判断することができません。
ゴールと現状とのギャップを定量的に把握することは、企業経営のみならず、あらゆる課題解決の場面で求められる視点です。
人材版伊藤レポートが目指しているのは、「企業価値の持続的な向上」です。新たな取り組みを始めたとしても、それが定着しなければ持続しないのは当然でしょう。
例えば“人的資本経営”のような取り組みや、他社の好事例をまずは取り入れたとしても、自社に定着するものなのか、しっくりくるものなのか、そうでなければどこがしっくりこないのかを探り、自分たちのものにするための取り組みも忘れてはならないことでしょう。
個人にせよ組織にせよ、会社にせよ、“それぞれ”の部分は必ずあるはずです。新たな取り組みの本質は逃さずに、自分たちが続けていける状態に調整することも大切になるでしょう。
ここからは“5F”、5つの共通要素について考えていきます。人材版伊藤レポートでは5Fについて、まず「本報告書の狙い」の中で、次のように列挙されています。
① 目指すべきビジネスモデルや経営戦略の実現に向けて、多様な個性が活躍する人材ポートフォリオを構築できているかという要素
② 個々人の多様性が、対話やイノベーション、事業のアウトプット・アウトカムにつながる環境にあるのかという要素(知・経験のダイバーシティ&インクルージョン)
③ 目指すべき将来と現在との間のスキルギャップを埋めていく要素(リスキリング・学び直し)
④ 多様な個人が主体的、意欲的に取り組めているかという要素(従業員エンゲージメント)
⑤ 時間や場所にとらわれない働き方の要素
また、レポートの終盤では、それぞれ要素①から要素⑤として、要約された言葉で解説されています。本コラムも要約された言葉とともに、中身を掘り下げていきます。
“ポートフォリオ”という言葉は、「資産の組み合わせ」や、アーティストや作家の「作品集」などとして使われています。つまり、自社にはどんな人たちがいるのかを把握することです。
組織で働く人にはそれぞれ役割があるので、“現時点で何をしている人なのか”は、所属部署や担当業務を見れば分かることでしょう。ここでは現時点だけでなく、将来を見越して人材を獲得したり、育成したりすることの重要性を指摘しています。
時代の変化に対応したり、新たな事業に取り組んだりするならば、まずはどのような人材が必要なのかを明らかにする。そして現時点の人材と比較して、そのギャップを埋めるために新規採用するのか、それとも今いる従業員の中から育成するのかを選ぶ必要があります。
加えて、今の従業員のニーズに注目することも、とても大切になるでしょう。従業員にも、「将来はこんなことをしたい」「以前の会社ではこんな仕事をしていて、その経験はこの会社でも発揮できるはずだ」といった思いがあります。今は表に現れていなくとも、従業員のニーズを探ることで、大きな可能性が実はすでに社内にあることに気づくかもしれません。
このような取り組みは継続的に行う必要があることから、“動的”という表現が使われています。
要素②では、「ダイバーシティ」や「インクルージョン」など、必ずしも広く知られているとは言えないカタカナ語が登場します。
まず「ダイバーシティ」は、漢字では「多様性」と理解すればよいでしょう。組織に所属する人たちに対して、さまざまな得意や経験、興味や価値観を持った人たちがいる状態ということになります。
外国人など異なる文化で育った人たちも含まれますし、肌や髪の色、国籍の違いなど、比較的見て分かりやすい違いもあります。しかし本来大切なのは、知識や経験、さらに性格や考え方など、一見すると目には見えない違いに注目することです。
次に「インクルージョン」は、漢字に変換すれば「包含」です。さまざまな多様性を包み込むことの大切さを訴えています。
かつての日本社会では、多様性よりも、みんな同じであること、つまり均質性や同一性が重視され、比較的同じ考え方や行動を好む人同士が「擦り合わせ」をすることによって、チームワークが発揮されてきました。
しかし、変化が激しく先が見通せない時代では、「似たもの同士の擦り合わせ」だけでは、うまくいかないことも多いでしょう。むしろ、違ったものをいかに組み合わせていくのかが重要になります。
繰り返しになりますが、時代の流れや変化が激しい時代、人が学生時代に学んだ専門性だけをベースに生きていくことは、非常に困難になりました。
世の中の変化が激しい上に、人が働く期間も伸びているのですから、社会人経験を積んだ人ほど、新たな知識や技術を学ぶことが不可欠です。“リスキル”は、新たな知識や技術を学ぶことと理解すればよいでしょう。
リスキルの重要性は、日本ではまだ十分に理解されていないように感じます。それゆえ、企業が従業員のリスキル・学び直しに「投資する」という考え方が、なかなか普及しないのではないでしょうか。
従業員が学び直しをする時間や労力は、当然ながら、その時点では企業の価値創造に直結するものではありません。それでも、「これは将来への投資だ」と捉えられるかどうかが、これからの経営者に求められる重要な資質になるはずです。
働く人も、自分の将来に投資してくれる企業を選ぶ時代になっていくことでしょう。
まずは「エンゲージメント」について理解したいと思います。人材版伊藤レポートでは、ある文献を参考に、次のように説明しています。
エンゲージメントとは、「企業が目指す姿や方向性を、従業員が理解・共感し、その達成に向けて自発的に貢献しようという意識を持っていること」を指す。
例えばある従業員が、この会社で働き続けたいと感じている場合、その理由が「希望にかなう給料がもらえる」「人間関係が良好だ」「とりあえず他に会社を変えたいとは思わない」といったものであったとしたら、必ずしも「エンゲージメント」で惹きつけられているわけではありません。
仮にもっと給料がよい会社があれば、その会社に転職してしまう可能性もあるでしょう。
では、何が本質的に企業が従業員を惹きつけるのでしょうか。
例えば、「本音を言うともう少し給料を上げてほしいが、でも社長の考え方やこの会社の事業に、私も心の底から賛同できる。そして私が得意でやりたい仕事を任せてもらえている。この会社の一員として、社会に貢献し続けていきたいと思っています」
このような状態は、組織と個人の間にエンゲージメントが存在していると言えるでしょう。
またレポートでは、このような関係性を築くために、企業と個人が対等な関係であることの大切さも述べられています。組織が個人のリスキル・学び直しを支援することは、エンゲージメントを高めることにもつながります。
いわゆる在宅勤務やリモートワークが代表例になると思います。しかし中小企業を中心に、例えば医療や介護、工場での製造業など、リモートワークできない職業も多くあります。
在宅勤務やリモートワークは、コロナ禍で一気に普及が加速しましたが、その後、出社する人たちが戻ってきたというニュースも流れました。
自宅と職場が物理的に離れていること、その間に通勤という行為と時間があることにも、何かしらの意味はあるのだと思います。また、人同士が直接会って話すことの大切さにも、私たちは改めて気づかされました。
要素⑤は、あくまでも「時間や場所にとらわれない働き方」であり、在宅勤務やリモートワークに限らず、個人が働きやすい環境を整えることに注力すべきでしょう。
ここまで、人材版伊藤レポートで提唱されている「3P・5Fモデル」について、一つずつ確認してきました。
このレポートが「持続的な企業価値の向上を最終目的としている」ことを意識した上で、自社にとって3つの視点と5つの要素にどのように取り組むことができるのか。
中小企業であれば、経営者と従業員が対等な立場で率直に意見を交わすだけでも、「人的資本経営の第一歩を踏み出した」ことになるのではないでしょうか。
次回は、人的資本経営と「好き嫌い」をキーワードにお話しいたします。
正解のない時代にキャリアを創造する
【第5回】「人材版伊藤レポート」から読み解く人手不足解消のヒント